いんげん(っぽい)豆

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 いんげん豆の名称の由来は禅僧の隠元です。彼は江戸時代の初め、承応3(1654)年に中国明から渡来して、日本に黄檗(おうばく)宗という新しい禅宗を伝えました。その隠元がもたらした豆、というので「いんげん豆」なわけです。  もちろん、隠元が中国から持ってきたから「いんげん豆」だ、というところで理解を終えてしまってはいけません。『和漢三才図会』という江戸時代の百科事典では、「ふじ豆」を俗に「隠元豆」と呼ぶのだとし、さらに、ふじ豆は古くから日本にあったが広くは用いられなかった、それが隠元が来朝したころに栽培が盛んになったのだと説明しています。つまり従来からあったマイナーな品種が、ちょうど隠元が来朝した時期に「いんげん豆」の名称で広く普及したということでしょう。  ではなぜ「いんげん」なのか、たぶんそれは"隠元ブランド"にあやかったからでしょう。隠元はただの渡来僧ではありません。隠元の渡来とは、単なる新しい禅宗の導入ではなく、書道・茶道・料理文化などの総合文化の受容を意味しました。当時の日本人が憧憬してやまない最新中国カルチャーの伝導者、最先端の中国文化の権化の来日なのです。日本では官民あげて、つまり幕府も民衆も隠元から最新モードを吸収しようしました。ですので"いんげん"豆とは、実はちょっと大胆で大げさな名前なのです。

【挿絵解説】「賓主一礼して席に着図」『翻刻江戸時代料理本集成10 江戸流行料理通』臨川書店、1981年より 黄檗宗を介して日本にもたらされた普茶料理は、テーブルに大皿が載り、それを皆で取り分けるというスタイルが斬新でお洒落でした。接待文化の一つとして流行しました。

【参考文献】・平田萬里遠「江戸時代における外国料理の書」『論集東アジアの食文化』平凡社、1985年

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