そら豆は、空豆・蚕豆と書きますが、さやが空を向いて直立するので「空」豆なのだとも、さやが蚕(かいこ)に似ているので「蚕」豆なのだともいわれます。青いうちはそのまま茹でて食べるし、成熟して乾燥したものはいっていり豆にしたり、煮豆にしたり、油で揚げてフライビーンズにする・・・・といったことは私に言われるまでもないですね。 でも、青い時分から食べられるというのは一つの利点であるようです。江戸時代の農書によると、そら豆は百穀(すべての穀物)より先に熟して青い時より食べられる、ことに麦より先に実るので飢饉の時などには大変有益だったそうです。現在では主に5~6月頃の収穫ですが、江戸時代では7月に植えて2月に収穫ということですからずいぶんと時期が早いようです。おそらく品種も違うのでしょう。 もちろん主要作物である米や麦の補助的な作物ですので、専用の畑などはありません。田の畦や、二毛作(稲の裏作)の麦の畝々の隙間などに植えて栽培していました。挿絵は土手の斜面を利用して豆を植えている図ですが、江戸時代の農学者大蔵永常は、同様にしてそら豆を栽培することを推奨しています。当時、田の畦や土手などの作物には税金はかかりませんでした(今でもそうでしょうが)。ですので、収穫はすべて入手できました。その意味でも有効な栽培法といえます。 近代以前の農村とは、飢饉や課税に堪えながら懸命に生き抜く場であり、なおかつ生命に溢れた活気ある空間であった・・・・そんな風に憧れるのは、きっとコンビニが便利すぎるからでしょう。
【挿絵解説】「往来堤の両はたに大豆(まめ)を植えたる図」前掲『広益国産考』五之巻より 「往来堤」は土手の上の道。農作業の帰りでしょうか、トンボを追う子供が愛らしい。
【参考文献】・『日本農書全集12 農業全書』社団法人農山漁村文化協会、1978年 ・『日本農書全集14 広益国産考』社団法人農山漁村文化協会、1978年