かつて瀬戸内海に面した広島県三原市能地の沖合では浮鯛という現象がありました。3月中旬から5月初めの満潮時に、鯛を主とした魚類が腹を上にして大量に浮ぶのだそうです。漁師は待ち構えてこれを網ですくうというのですから、まさに天のお恵みです。理由は定かでありませんが、強い潮流のためとか、水温変化のためとかいわれています。 この現象は古くからあったらしく、『日本書紀』には、功神皇后(仲哀天皇室)が渟田門(ぬたみなと)に停泊し食事していると、鯛が船に群がってきたので海に酒を注いだ。するとみな酔って浮んだので漁師は歓喜してこれを捕り、以来、6月になると鯛が浮ぶようになったとあります。季節はずれますが浮鯛現象のことでしょう。渟田門の比定地は若狭・出雲・安芸説がありますが、安芸には沼田(ぬた)郡があり、同郡能地で浮鯛現象が起きていることからして安芸が妥当と思います。 能地は、陸地に家を持たず家船に住み、漁業や水夫として生計をたてていた海人(あま)と呼ばれる人々の拠点でした。いわゆる漂泊の民です。かれらは功神皇后に鯛を捧げたのは自分たちの先祖で、以来、菅原道真・平清盛・源義経・足利尊氏といった歴史上の有名人に浮鯛を献上してきたのだという伝承を伝えています。これはただの自慢話ではなく、こういう歴史があるから自分たちには浮鯛を捕る権利・由緒があるのだ、という主張につながります。またそれは、自分たちはなぜ漂泊しているのか、自分たちの水夫・漁民としての技能がなにに由来するのか、そうした疑問に対する漂泊の民の自己確認でもあるでしょう。本当かどうかなんていうのは"やぼ"な質問です。
【挿絵解説】日本橋魚市の図『江戸名所図会 上(天保5、1834年刊)』人物往来社、1967年より 「花は桜、魚は鯛」といわれます。江戸前の鯛も祝事には欠かせない品ですが、資源の欠乏になやまされていました。江戸時代後期には鯛の乱獲を防ぐ協定が湾内の漁村間で定められています(高橋覚「近世における江戸湾の漁職制限について」『近世房総の社会と文化』高科書店、1994年)。
【参考文献】・西川藤吉「浮鯛」『動物学雑誌』192号、1904年 ・河岡武治『海の民 漁村の歴史と民俗』平凡社、1987年 ・小川徹太郎「「浮鯛抄」物語」『内海を躍動する海の民』新人物往来社、1995年