牡蠣といえば”広島”といえば反論もありましょうが、とりあえず日本最大の産地であることは間違いありません。ではなぜ広島が名産地となったのか、もちろん干潟の多い広島湾のような場所が生育に適していたというのが大前提ですが、そんな場所は日本中いくらでもあります。この点、『日本山海名産図会』という江戸時代(寛政11、1799年刊)の書物では次のように説明して分かりやすい。 畿内で食べる牡蠣は皆広島産であり、これを最も名品とする。 播磨・紀伊・和泉などは自然品だが、広島産は養殖で皆三年産だからだ。 つまり、広島産は養殖なのだ。3年間養殖し、肥してから出荷するので美味しく、また一定の供給をまかなえたわけです。一説によると戦国時代末の天正年間に養殖法が発明されたというのですから、少なくとも近世初頭には養殖が始まっていたのでしょう。もちろん、現在のような筏(いかだ)を浮かべて牡蠣を吊り下げる形式ではなくて、海中に石を投げ入れておいて牡蠣の子供を採集し、干潟で養殖するといった原始的な方法からはじまって、竹を干潟に突き立て並べたひび立てを利用する方法、そして現在の方法が普及するのは昭和30年くらいからだそうです。ただし、かつて牡蠣養殖の作業は冬季、極寒の海をも厭わず行なう苛酷なものであって大変な苦労だったそうです。 そうして生産された牡蠣は、主に船で大坂に送られました。始めは輸送するだけでしたが、やがて持ち込んだ牡蠣を船の中で調理して食べさせるようになりました。これを牡蠣船といいます。10月から正月末まで大坂で営業して帰るというものでしたが、これが好評で広島の牡蠣の人気を高めました。ちなみに、牡蠣船は大坂の川の土手脇に停泊して営業しましたので、そこで出す牡蠣鍋を土手鍋と呼んだそうです(味噌を土手状に盛り上げて調理するからという説もありますが)。
【挿絵解説】『日本名所図会全集(日本山海名産図会)』名著普及会 より 広島の牡蠣養殖法について図示したものです。手前には生垣のようなひび立てがあり、そこにたくさん子牡蠣が付いていて、それを集めて図奥の養殖地に捲いて育てます。ひび立てはもともと魚を捕るための設備ですので、いっしょに鯛やタコなどを網ですくっている様子がみえます。
【参考文献】・『カキ養殖』広島市教育委員会、1896年 ・『日本名所図会全集(日本山海名産図会)』名著普及会、1975年 ・『広島県史近世2通史Ⅳ』広島県、1984年