慶長5(1600)年、徳川家康は関ケ原の合戦に向かう途中の墨俣で、美濃国蜂屋村の百姓から干柿の献上を受けます。家康は「早くも大柿が手に入った」、すなわち大垣(柿)城主である石田三成を攻略したと言ってご満悦で、同村の百姓らへ諸役免除の御朱印(免税許可証)を与え、以後、同村は将軍へ干柿を献上する御菓子場となりました。 ちょっと出来すぎた話だなと感じた方は正解です。いく分かの事実はあるのでしょうが、もとより家康は墨俣を通っていないといった矛盾が指摘されています。その百年程後の元禄ごろ、蜂屋村の百姓らが助郷役(すけごうやく、宿場へ人夫・馬を供出する課税)の免除を得るために創作された逸話のようです。ところが、幕府はこの逸話の由緒に基づいて免税特権を認めてしまいます。ちょっと調べれば矛盾に気付くはずなのに・・・・。 たぶん幕府には逸話が真実かどうかなんてどうでもよく、逸話による正当性の説明と干柿献上の事実さえあれば手続き上の問題はなかった。そう、幕府にとっては、干柿が美味で、家康公が立派であれば良かったということでしょう。合理性なんて二の次という訳ですね。
【挿絵解説】渋を搾る図(『公益国産考』日本農書全集14、農山漁村文化協会、1978年より) 柿は食べるだけでなく、防水・防腐剤・染料として使用される柿渋の原料でもあります。図は青柿を潰して柿渋の原料を抽出しているところで、これをねかせて発酵させてつくります。
【参考文献】・大友一雄「近世の献上儀礼にみる幕藩関係と村役」『日本近世国家の権威と儀礼』吉川弘文館、1999年 ・美濃加茂市民ミュージアム図録『蜂屋柿その歴史と人々展』2008年