みかんは「蜜柑」と書きますが、文字どおり「蜜のような柑」でして、本来は、柑橘類のうち蜜のように甘いもの、であって固有名詞ではありません。現在、私たちが「みかん」というのは、鹿児島生まれの「温州みかん」という品種で、それが普及するのは明治に入ってからになります。その前段階、つまり江戸時代の主流は、肥前八代を故郷とし、戦国期に紀州有田に移植された「有田みかん」です。紀国屋文左衛門が嵐をおして江戸にみかんを届けて大もうけした、という話があるように大都市江戸の成立と太平洋廻船の整備をバックに大ヒット商品となりました。 有田みかんが大量生産・流通する以前は、橘(たちばな)・柑子(こうじ)・くねんぼ(九年母)といった酸味の強い柑橘類しか人々の口には入りませんでしたので、まさに画期的な甘さだったわけです。江戸時代中期の国学者本居宣長は、その随筆『玉勝間』で「古より後世のまされる事(昔より今の方がよいこと)」の一つに蜜柑をあげます。「昔はよかった」主義の国学者にしても、蜜柑の甘さにはかなわなかったということでしょうか。
【挿絵解説】みかん篭積出図(『紀伊国名所図会』歴史図書出版、1970年より) 有田川流域で栽培されたみかんは、有田川を使って河口の北湊(現有田港)に集積され、小舟で地ノ島(じのしま・有田市)沖に停泊した大型船に積みこまれ消費地へ輸送された。挿絵はその場面。
【参考文献】・『日本思想体系40 本居宣長』岩波書店、1978年 ・塚本学「江戸のみかん-明るい近世像-」『国立歴史民族博物館研究報告』4、1984年 ・御前明良「全国のみかん栽培史と江戸時代の有田みかんの流通」『経済理論』294、2000年