浅草の三社祭は有名ですが、かつて品川・大森の漁民の船が祭礼の中核を担っていたことはあまり知られていません。それは品川・大森の漁民は、元々は浅草の漁民であり、その頃から浅草寺・三社権現を信仰し、移住しても氏子としてその信仰を守りつづけていたからです。浅草寺は、浅草漁民三人が水中から引き上げた観音様を祀ったことが始まりで、その漁民を祀ったのが三社権現だといいますから(浅草寺縁起)、もとより浅草寺と三社権現は漁民の神様仏様ということになります。 江戸時代、浅草海苔といえば高級海苔の代名詞で、全国に知られた名品でした。伝説では、浅草寺に深く帰依した武蔵守 平公雅という人が観音様のお導きにより発見し、それを漁民が採集するようになったのが始まりだそうです(浅草海苔由緒書)。浅草沖の海が後退し陸地化すると、海苔の主産地は品川・大森へと移動します。つまり漁民と海苔の産地は同じ場所に移動したことになるわけです。 ここに神仏-漁民-海苔という三者の深いつながりが見えます。漁民にとって海苔などの海産物は神仏から与えられた恵みであり、その生活を支える上で信仰は重要な意味を持っていたわけです。ただしこれは、単なる宗教上の問題ではなく、神仏は氏子である旧浅草漁民に対して恵みを与えたのだから、それは氏子の得るべき恵みなのだという独占の理論に結びついていたのでしょう。もちろん「そんなの関係ね~」という人もいたでしょうが大丈夫、そんな人には罰(ばち)があたりますから。
【挿絵解説】『江戸名所図会1』名著普及会、1975年 より 「浅草海苔 大森・品川等の海に産せり、是(これ)を浅草海苔と称するは、往古かしこの海に産せし故に其(その)旧称を失はず・・・・・」との解説があります。図の左上に海苔を栽培するヒビ立(海中の木の枝状のもの)、右側に海苔抄(す)きと乾燥の作業場、左側に東海道沿いの販売所が描かれています。
【参考文献】・『大森区史』1939年、902頁~ ・宮下章『海苔(ものと人間の文化史111)』法政大学出版局、2003年