鮎は川で生まれ幼魚期を海で過ごし、また川に戻って成魚となる、これを一年サイクルで繰り返してきました。鮎は成長すると川石に付着した苔を餌とするため、すいかに似た香がします。かつての多摩川では、鮎の時期になるとその特有の香が川から漂ってきたといいますから、魚影さえ見えない今の状況からすると、ちょっと想像できませんね。 幕末もほど近い天保三(一八三二)年八月下旬、初秋の頃、御世嗣徳川家慶は大勢の御供をしたがえて多摩川の鮎狩を挙行しました。次期将軍の鮎狩ですので、そそうがあってはなりません、荏原郡瀬田村(世田谷区)の里長、長崎長十郎が中心となって万全の準備が調えられました。鮎狩まで禁漁とされた川には鮎があふれ、御世嗣は用意された豪華な川舟から、披露される鵜飼など様々な鮎漁の技法を堪能しました。清流のほとりの広々とした河原で繰り広げられる一大イベントです。まさに大名気分ですね(おっと将軍でした)。 でも御世嗣ですので普段は堅苦しい御殿暮らしで、鮎狩なども一生に一回あるかないかです。将軍様になりたければ、かなり忍耐強くないと無理でしょう。山ほどとれなくとも、ひがな一日、鮎を追っていた夏休みの暑っ~い日差しがいいですね、僕は。
【挿絵解説】玉川猟鮎の図(『江戸名所図絵』名著普及会、1975年より) 多摩川は江戸時代には玉川と表記されていました。図の左上には、「篝火の影にぞしるき玉川の鮎ふす瀬には光そひつつ」と和歌が載せられています。これは平安時代後期、六条斎院(後朱雀天皇皇女・藤原頼通孫)の女官武蔵の作で、鵜飼の灯す篝火が多摩川に映る様の美しさを詠んだものです。(『図書寮叢刊 夫木和歌抄一』3152参照)
【参考文献】・島司直『玉川紀行』国会図書館所蔵 輪池叢書外集14(写本) ・矢藤秀男「徳川将軍・家慶多摩川で鮎漁を楽しむ」『歴史研究』458、新人物往来社、1999年 ・宮田満「将軍の鮎」『多摩のあゆみ』59、1997年 ・安斎忠雄「栄光の流れの辺で・・・」『多摩のあゆみ』59、1997年 ・『福生市史 上』3編4章 多摩川の漁業と御用鮎、1993年