ジャガイモの語源がインドネシアの「ジャカルタ」であることは割に知られていて、個人的聞き取り調査によると5人に一人は知っていました(ご協力ありがとうございます)。ジャカルタの古名をとって「ジャガタ(ト)ライモ」と呼ばれ、これが縮んでジャガイモになったといいます。慶長3(1598)年に初めてオランダが長崎港へ持込んだといい、豊臣秀吉も食べたかもしれません。 その後の普及はゆるやかでしたが、江戸時代後期に起こった天保の大飢饉を契機として飢饉の救済食として注目されるようなります。それは寒さに強く、栄養価が高かったからで、蘭方医であった高野長英も著書『二物考』の中でジャガイモの普及策を説き、これが「天下万世」の救済をもたらすと力説しています。 ここで長英は、「飢饉の際に備蓄していた米を人々に配給しても救える人数は限られている」のでジャガイモ普及策を示したのだと述べていますが、これは飢饉米の配給といった小手先の対応ではなく、飢饉が起きないような抜本対策をすべきだ、という幕府政策への批判でしょう。昨年から今年にかけては、100年に1度の経済危機だそうですが、政府が給付金を配っている様子をみたら「かわんね~な」と長英は苦笑するでしょう。
【挿絵解説】「馬鈴薯略図」高野長英『二物考』(『日本農書全集70』農山漁村文化協会、1996年)より 図は渡辺華山筆。華山は三河国田原藩の家老で長英を経済的に援助していた。非開明的な幕府政策を批判し、1839年、蛮社の獄により蟄居・自殺する。
【参考文献】・千葉徳爾「馬鈴薯雑考」『全集日本の食文化3』、雄山閣出版、1998年 ・吉田厚子『二物考』解題(『日本農書全集70』農山漁村文化協会、1996年) ・伊藤章治『ジャガイモの世界史』中央公論新社、2008年