節分の豆まきは今でも盛んですが、ではなぜ鬼を払うときに豆をまくのか。成田山で朝青龍に聞いても「うるせえ!」と一喝されるのがおちでしょう。ですので自分で調べました。 「豆まき」の原型は、「儺(だ、鬼を追うという意味)」という中国の行事で、病気や自然災害を鎮めるために行なわれていたものを、奈良時代に朝廷行事として取り入れたとされます。大晦日の年中行事で、方相氏(ほうそうし)が鉾盾を打ち鳴らして先導し、それに大勢の官人・官女が従って宮中から悪鬼を追い出すというものです(挿絵参照)。やがてこれが朝廷だけでなく、貴族の家々や寺院などでも行なわれるようになり、また冬から春への替り目=節分の日に行なうのが一般化するとされます。 あれっ?豆がない。そう豆まきが見え出すのは、ぐっと下って室町期です。豆を仏教の如意宝珠にみたててこれをぶつけるとか、大豆を呪術に使った漢民族の風習を伝えたものといった説明もありますが、私は本来はお供え物であるという説にひかれます。豆まきに似た「打撒(うちまき)」という儀式があります。この場合は米ですが、豆まき同様、米をまき散らすので散米(さんまい)ともいいます。これは地位の低い神へのお供え方法ですが、邪神悪霊などには散米による饗応を施して穏便にお帰り願うわけです。つまり追い払うのではなく、鬼に豆で施しをして帰ってもらうというのが本筋なのかもしれません。
【挿絵解説】「方相氏と疫鬼」『政治要略』巻29 年中行事十二月下 追儺より 右が方相氏で、黄金の四目をつけた熊皮をかぶり鉾と楯を持ち高下駄をはくという扮装。左が追われる疫鬼。ただし儀式には登場しない。
【参考文献】・倉林正次『国史大辞典』「散米」の項 吉川弘文館、1985年 ・『仏教行事歳時記2月節分』第一法規出版、1988年 ・大日方克巳「大晦日の儺」『古代国家と年中行事』吉川弘文館、1992年 ・奥野義雄「追儺・節分・修正会にみる「鬼」をめぐって」『まつり』57、1995年