サンマの風景-目黒-

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 落語の「目黒のサンマ」は有名ですが、いくつかのパターンがあります。その一つを紹介しますと、出雲松江の殿様が目黒で食べたサンマがうまかったと江戸城で自慢していた(サンマは下魚(ゲウオ)といって身分の高い人は食べない)。それを聞いた筑前福岡の殿様が、さっそく本場房州(千葉)から取り寄せて食べてみたがまずかった(殿様付の料理人はサンマの調理法を知らない)。それで「まずいじゃないか!」と抗議したところ、「それは房州だからまずい、秋刀魚は目黒に限る」と切り返すおちです。実は目黒のサンマも房州産ですので、どこで食べても同じはずなのに「目黒に限る」と的外れな回答するところが妙で、庶民生活にうとい殿様を茶化して楽しんでいるわけです。  さて、この話しの基になったといわれるのが、中目黒村の「爺ヶ(ジジガ)茶屋」での将軍の逸話です。三代将軍家光が鷹狩の度に、この茶屋に立ち寄って休んだといわれ、家光が茶屋の主人を「じじい、じじい」と呼んだことから「爺ヶ茶屋」と称されるようになったとのことです(サンマが出されたかどうかは不明ですが)。  この爺ヶ茶屋は目黒川の谷筋に沿った崖の中腹にあり、眺望が良かった。挿絵「千代の崎」は、その爺ヶ茶屋とほぼ同じ位置、つまり家光の見たのと同じ目黒の風景が描かれています。挿絵ほぼ中央に見える小橋が目黒川で、奥の丘陵が現在の祐天寺・学芸大学にあたります。これが目黒の原型です。もちろん渋谷だってこんな感じです。アスファルトとコンクリートで表面を覆ってあるだけです。

【挿絵解説】「千代の崎」『日本名所図会全集 江戸名所図会巻二』名著普及会、一九四八年より 注記には「行人坂の北永学松平主殿侯別荘の後中目黒の方へ少し下る所」と場所が説明されていて、爺ヶ茶屋があった茶屋坂とほぼ同じ場所にあたります。現在のJR恵比寿駅の南側、目黒駅と大崎駅の中間の三田2丁目付近です。

【参考文献】・『目黒町誌』龍渓書舎、1992年(復刻) ・『口演速記明治大正落語集成 第二巻』講談社、1980年 ・石黒正吉『日本の食文化体系 第六巻 魚貝譜』東京書房社、1986年

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