縄文人は高度な漆文化をもっていました。朱や黒に染色した漆を腕や櫛などに重ね塗りしてゆく技術は現代に通じており、弥生時代・古代の技術をはるかにしのいでいるそうです。ですので、美しいものを美しいと感じ、それを神に捧げたり、死者にたむけたりといった精神文化も充分に発達していたことがうかがえます。きっと朱の髪かざりを恋人にあげたりもしたのでしょう。 漆文化のような、ある意味、余計な文化を作っているのですから、食文化もそれなりに発展していたはずです。例えば、1994年に発見された青森県三内丸山遺跡では、500人近くの人が居住する集落があり、その周辺に人為的な栗林があって大つぶの栗が生産されていたようです。栗林は長期にわたって栽培されていたようですから、”美味しい栗をつくる”というこだわりも生まれていたでしょう。 せっかくの美味しい栗でも、ちゃんと調理しないと美味しくはない。調理するには食器がいります。日本では世界に先駆けて1万2千年前ころには土器、つまり粘土を焼き固めて作った器が出現します。少しでも美味しいもの、美しいものを作ろうというこだわりが漆文化や土器文化を生み出したのでしょう。新しいものを生み出すにあたっては、何かにこだわってゆくことが大切なのでしょう、このサイトみたいにね。
【挿絵解説】「室町幕府 常の三の盃図」『宗五大草紙(そうごおおぞうし)』(『群書類従』22)より 『宗五大草紙』は室町幕府の儀礼書。幕府の節句などで出すお祝い膳の図。「こんぶ」「うらのしあわび」とともに「かちくり(搗栗) 数五」がみえます(左図上)。これら3点は「かく(角)の折敷」(木製の小皿)に盛られています。搗栗は栗を干して皮を取った食品で、勝栗とも書き縁起が良いのでお祝いの席に用いられました。なお、図の三重丸は「白かはらけ(土器)三つ重」で、酒を飲むための素焼きの盃です。
【参考文献】・永嶋正春「漆から見た縄文・弥生時代」『考古学ジャーナル』401号、1996年 ・佐藤洋一郎『<三内丸山遺跡>植物の世界』裳華房、2004年