落花生と水戸黄門

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 ピーナッツ・落花生の原産地は南アメリカで、ペルーでは紀元前850年頃の発掘例があるそうですので、かなり古くからの食物のようです。ただし日本に渡来したのは近世の初頭で、本土での生産が本格化したのはさらに遅れて明治以降です。  水戸黄門こと水戸藩の2代藩主徳川光圀は、日本にない動植物を唐土、つまり中国から取り寄せていたとされ、その一つが「落花生」だそうです。他に朝鮮人参・唐鬼灯(ほおずき)・唐芥子(とうがらし)・阿蘭陀茄子などがみえますので、中国の他にも朝鮮・オランダといった国々から収集していたようです(注1)。  光圀が諸国を漫遊したというのは当然フィクションで、仮に漫遊したとしても前アメリカ大統領が南米を旅しているようなものですから何の権限もありません。漫遊のついでに他藩の悪代官を懲らしめたなら、水戸藩は幕府から厳重注意を受けたでしょう。黄門さまが高名になったのは漫遊したからではなく、その優れた文化業績からです。歴史書『大日本史』の編纂と、それに必要な史料の収集は現在でも日本の歴史学を支えているといってよいでしょう。  こうした文化事業には公費が注ぎこまれましたが、それが個人の趣味(悪くいえば道楽)なのか公務なのかは微妙です。ただし為政者として新たな生産品目の開拓や、文化活動などにより民衆を導いてゆかなければならない、という強い自負をもっていたことは確かでしょう。たとえ高額で落花生を取り寄せて普及しなかったとしても、「また無駄遣い!」なんて責めてはいけません・・・・・、たぶん。 (注1)三木之幹他編『桃源遺事』元禄14(1701)年

【挿絵解説】『桃源遺伝』所収 西山荘の図」『賢哲伝』修養文庫刊行会、1919年より 西山荘(茨城県常陸太田市)は光圀の隠居所です。田舎の山裾に茅葺き屋根で建てた「わびた」山荘ですが、周囲には桃百本を植え、鹿・鶴を放し飼いにするなど贅沢といえば、贅沢です。助さんこと「佐々介三郎」もここで仕えていました。ちなみに、ご隠居よりも2・3年早く亡くなったそうです。

【参考文献】・坂本正行「千葉の落花生」『食の科学』285、2001年

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