明日、何を食べようか

温泉と干物

 かまぼこ、しらす、小梅のかりかり梅干しの赤いのと緑色の、それに鯵の干物。どれも、温泉旅館の朝御飯としてはありふれたものだけれども、箱根ではどれも名物だ。箱根の山を下って小田原に降りれば、そこに相模湾がひろがり、夏はたくさんの鯵が取れる。しらすが捕れるのも夏だ。あたりの山に梅林が多いし、冬になれば蜜柑山に黄色い蜜柑が実っているのも見られる。それに加えて小田原と言えば、もう駅前からかまぼこ屋さんの看板が幾つも立っている町だ。

 「名物なら食べて帰らなくちゃ」

 そう言って朝食のバイキングのテーブルに戻って行ったのは、今年の春に大学を卒業したゼミの卒業生の面々だった。夏休みの旅行に教員だった私も誘ってくれた。温泉に入って、夜は四月から勤め始めた職場での経験談などを話すのを聞いているうちにいつのまにか深夜になっていた。箱根はそんなに新宿から遠くないのに、町とは違う場所に来たという感じが濃いから好きだ。海までそう距離がないのに山が深いからそんな感じがするのだろう。で、帰りに「干物を買って行く」と言ったら元ゼミ生の諸君に怪訝な顔をされた。

 「こんな山の中で、干物ですか?」

 箱根はそれほど山の中でもないのだ。電車で少し降れば、緑の水田の向こうに青い海が見えてくるのが箱根だ。箱根温泉の干物はおいしい。それは私の思い込みかもしれないが、どうもそんな気がする。お目当ては夏場にとれる鯵のひらきに、これまた夏が漁期にあたるいわしのみりん干し。

 子どもの時からみりん干しが好きだった。蜜柑のおばさんと呼んでいた行商の人がいて、この人は、蜜柑と干物を背負籠に入れて小田原から横浜まで売りに来ているという話だった。その頃、金沢八景に私の家はあって、蜜柑のおばさんは決まって昼前後に家の縁先から顔を出した。「縁側でお昼をつかわせて下さい」と言って、荷を背中から下ろし、お弁当を広げる。広いぬれ縁のあった家だから、軒先を借りやすかったのだろう。家では蜜柑のおばさんにお茶を振る舞い、蜜柑と干物を買うのを習慣にしていた。干した魚の匂いと蜜柑の匂いが混じり合っていたおばさんは、いつも少しおまけをしてくれる。そのおまけが鰯や鯵のみりん干しだった。甘すぎない。辛すぎない。香ばしいみりん干しだった。

 みりん干しが好きな私はあっちこっちでみりん干しを買ったけれども、蜜柑のおばさんが持っていたみりん干しが一番、美味しかった。で、その次が箱根の湯元温泉の駅前で買うみりん干し。箱根にいったらみりん干しを買わなくちゃと思い込んでいるのである。

07.08.20

【文】中沢けい